【福田はなにもするな】公明党と福田氏のバトル

☆辞任会見で福田首相の声のトーンはいつもと変わらず、むしろ意気軒昂。

安倍前首相と比較されるのを酷く嫌がっています。

「私は健康(政治的意志があるのに)だが、辞めざるをえないんだ!」

言外に匂わせています。

一番に気にしてるのは「政治空白を作ってはいけない」を連呼している所。

本人は本当はまだまだやりたいんでしょうね・・。

「自分が続行することによって政治空白(対立構造)ができてしまう」

公明党と取引があった可能性が高いと思います。

国会会期中のテロ特措法や会期中に成立しなければいけない法案。

公明党が協力するのには「福田辞任」の条件を出したのではないでしょうか。

福田首相辞任会見からは福田元首相の「怒り」を感じます。

「おれは降ろされたんだ!」というのがヒシヒシと伝わってくる会見でした。

http://d.hatena.ne.jp/soesan/20080901


2008年9/1の我がブログで福田元首相電撃辞任会見を分析したときのワタクシのコメントです。
どうやら、ほぼ的中していたようで文芸春秋11月号より
元・公明党委員長 今の政治激震のど真ん中にいる矢野 絢也氏の手記から。

文芸春秋】2008 11月号

>福田氏の民主党との大連立構想は「公明党外し」という話があった。

この福田首相の公明外しの真偽は明らかではありませんが、ここから公明党による福田叩きと自公連立離脱発言が続出します。

自民党と野に下ることもあり得ます。その一方で、政党としては政策をなるべく実現したいので、民公も選択肢として排除しません。
公明党参院議員(当時)遠山清彦氏の発言

つまり、選挙協力しないぞという脅しですね。
さらに、福田首相にはプレッシャーをかけます。

>福田氏はテロ特措法改正案の成立に万全を期すため、衆議院での再議決に必要な60日間を見越して、召集を8月末、会期を90日間としたかった。
ところが、公明党は「遅く、短く」に固執し、「9月末召集、会期60日間」を
強硬に主張。福田氏はやむなく間を取って9月12日召集、会期70日間を決定する。国会召集権など首相の権限は事実上、無視されてしまった。

さらに、公明党の福田氏への圧力は強まります。

>これらの日程が決まった後の8月31日、今度は公明党の漆原良夫国会対策委員長が「首相の所信表明演説は9月29日に」と言い出した。
12日に国会を開きながら、所信表明演説を29日に行うとは、それまで

【首相は何もするな】

と言う意味だ。

>福田氏はこの発言に激怒し翌日の9月1日、突如、辞任表明と繋がっていった。



冒頭で述べたとおり、福田氏は怒りの辞任だったことは間違いないようです。
政治は主に政党や個人の権力のキャスチングボートを握る闘いとなるのが常です。

福田氏の辞任のやり方がベターであったかどうかは今は判断できませんが、あのまま連立政権内に対立構造を残したまま居残っても、法案成立ができたかどうかは非常に難しいところです。


このように、一国の首相の言動の判断を月日も満たないうちに判断することは誤った実績判断となりかねない可能性があると実感しました。
小泉・竹中氏も今はずいぶんと叩かれていますが、実際の是非がわかるのは10年後、もっと先の時代ではないでしょうか?

国史記のシバセンは何百年も前の時代から書き始めました。
今でも中国史は何十年経ってから書くという決まりがあるそうです。

そうしないと、時の権力者(この場合、政府、マスコミ、権威団体など)によって
捻じ曲げられた人物判断や歴史観ができあがってしまうからでしょう。

そう思うと、インターネットという半永久的に残る情報媒体の登場は歴史の大きなターニングポイントだと改めて思いますね。
後世の人々が見ても恥ずかしくないブログにしなきゃなぁ・・。